岡山、姫路、大阪の旅 <姫路編>

2017.03.21 19:18|お出掛け
姫路に入ったのは夕方6時過ぎ。
宿にチェックインして
夕飯を兼ねてライトアップされた姫路城を見に行きました。
おぉ 幻想的~

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あくる朝は8時にGO。
あれ一番乗り? 空いてます、拍子抜け。
もう一時期の混雑は解消されたのでしょうか。
同じような若者が一人。
フレンドリーで話上手、昨夜遅く姫路に入って
混んでいると思い早起きして来たとか、やっぱり~
9時までの一時間 お蔭で楽しい時間でした。
彼が「一枚お願いします」と言うんで
互いに撮り合った一枚です。
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さて
姫路城は何たって世界遺産。
一周2000円(約2時間)のガイドさんをお願いしていたんですが
その方はたぶん4回は言いました。
「日本の国宝だけじゃない、世界の、世界の遺産ですよ」
はぁ~よくわかりました(笑)

そんなことで姫路城については皆さん充分ご存じと思われ
自分の気になった部分だけ書いて見ます。
まずは石垣。
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(下段が一番古い天正8~9年(1580~1581)に積まれたもの)

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城の南東になるのか黒田官兵衛ゆかりの石垣がありました。
説明にもあるように
3、野面積の角石(隅石)が不揃いという所で
小田原にある一夜城の石垣を思い出しました。
こちらは天正18年に秀吉が築いた小田原一夜城の角石です。
(近江の石工・穴太衆(あのう)に寄る)
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関東大震災でズリ落ちるように崩れていますが
算木積の綺麗な様子がわかります。
(算木積ー直方体の長い、短いを交互に組み合わせて強度を増す)
姫路城と一夜城
10年の月日を経てコーナー角石の技術が向上した様子が
よくかわりました。

余談ですが
16世紀終わり関西では石垣のお城は当たり前となっていたそうですが
関東では土塁のお城ばかりで
総石垣のお城を見たことが無かったそうです。
秀吉が築いたこの一夜城が関東初めての総石垣のお城だそうです。

話は戻って
ガイドさんに寄ると秀吉が築城する時はかなりの石不足だったそうで
五輪塔、灯籠、墓石、石棺まで掻き集めて
積み上げたそうで それら一つ一つの説明を受けて
なかなか興味深いところでした。
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(姥が石ー貧しい茶屋のお婆さんが何か役に立ちたいと石臼を献上
 秀吉が感激したとか)

他に面白いと思ったのは武具掛け。
天井に近い所に小さなフックのような物が並んでいるでしょう?
ここには弾薬を入れた袋が掛けてあったとか。
でもね、いざって時 届く?(湿度を避けたのかな)
万全な備えの姫路城でちょっと苦笑いした場所でした。
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こちらは窓にある石落とし。
取っ手が付いていてお洒落。
間に小さな穴が開いているのがわかりますか?
これは雨水を外へ出す排水溝だそうです。
へぇ~
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姫路城と小田原城のご縁と言えば
北条氏直の正室・督姫(家康の娘)は北条滅亡後
姫路城の池田輝政に再嫁しています。
氏直は家康の娘婿と言うことで切腹は免れ高野山へ追放となりますが
一年後に許され大阪狭山藩主に復活します。
でもその年病死してしまい(30歳)
督姫は泣く泣く再婚したそうです。
でも輝政との間に7人の子供を設けたそうだから
幸せだったのでしょう。
ガイドさんにその話題を振ると
「姫路城は千姫が人気ですから~」と。
あ~そうですか(笑)

ク~仕方がない、相手は世界遺産だものね。
現存12天守の一つ姫路城、さすがに世界遺産だけあって
重厚で素晴らしいお城でした。

さて
三の丸広場にはこんな看板が。
先着200名、和菓子 無料、キャ~
「ひめしゃち」というどら焼きをご馳走になりました
342_convert_20170320102645.jpg 姫路城のお茶_convert_20170320103047

帰り道 ふと見ると 何か~懐かしい文字が(笑)
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呪縛が解けたのか、気も楽になって今夜の宿大阪に向かいます。
大阪ではブログ友との飲み会。
わぁ~い。
でも電車の架線事故とかで
田舎者が右往左往するアクシデントが待っていたのでした。

つづく。




岡山、姫路、大阪の旅 <岡山編>

2017.03.19 10:08|お出掛け
小田原北条氏の始祖・北条早雲(伊勢新九郎盛時)の生まれ故郷
岡山県井原市にある高越城址に行って来ました。

岡山までは新幹線、そこから伯備線で清音へ
清音からはワンマンカ―の井原線に乗り継ぎ
小田原を出て約4時間半「早雲の里荏原」に到着しました。
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(途中 素敵な鉄橋、高梁川を超えました)

無人駅で駅舎さえもありません。
それに だ~れも人がいない・・(寂しい~)
でも観光案内は立っていました。
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高越山その2_convert_20170318142329
赤丸印二ヵ所に行きたいのですが
それぞれ別方向の上、もう午後でもありましたし
歩くにはキツイと思ってタクシーを予約していました。

井原交通さん
電話で予約した方が運転手となって登場。
しかも中世のお城好きとかで自前の小冊子を作って
待っていてくれました。
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車の中で10分くらい周辺の歴史についてあれこれ。
私も小田原から買って行ったお土産を渡してあれこれ。
なかなかいい旅になりそう。

最初の訪問地は「法泉寺」
早雲は幼少期ここで
古澗仁泉から禅僧の厳しい教育を受けたと伝わる場所です。
このお寺は早雲の父、
伊勢新左衛門盛定により創建された伊勢氏の菩提寺で、
息子の早雲も法泉寺を改修・造営し禁制も出したそうです。
(※禁制…お寺等を保護するために領主等が発行したもの)

他にも早雲寄進の摺袈裟があります。
伊豆修善寺から持ち出され納めたと言われるものです。
一般公開されている訳ではなく
和尚さんが在宅ならお見せしましょうということで
予約の電話を入れようと思っていると
先の井原交通さんが
私の知り合いだから話して置きましょうと言ってくれて
予約をしていてくれました。
親切です。

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葷酒山門に入るを許さず。
ニラ、ニンニクなどの臭いの強い蔬菜類やお酒、肉などを
食べた者はここから先へは入れないという結界石。
(僧侶に不要なこれらを寺に持ち込まないよう禁じた)
ここから先は聖域であると示しています。

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寺には山門、二の門、三の門があって
石垣も高く城郭の構えをなしています。
なるほど
入口もクランクに曲がっていて攻め手の勢いを削ぐ工夫や
階段の高さも幅も不揃いで登り辛いような工夫もなされていました。
池は堀代わりの役割もあったのでしょう。

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(三の門)
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(鬼瓦には三つ鱗・北条氏の紋が)
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三の門をくぐると優しそうな和尚さんと奥様が出迎えて下さり
どうぞ、どうぞと中に案内してくれました。
和尚さんが話され 間合いで奥様が補足されます。
一人でお聞きするには勿体ないお話ばかり。

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早雲の師であった古澗仁泉の木像坐像。
亡くなって間もなく作られたもので
本人にそっくりだと伝わっているそうです。
(室町時代の僧侶。1458年に79歳で没。)

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早雲と父の盛定のお位牌(昭和になっての作)
奥の4つ並んだ黒いお位牌は徳川将軍4代までのものとか。
(家康、秀忠、家光、家綱)
それから先は財政困難で作られなかったのでは?という話でした。

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奥の間に通されると先に書いた早雲直筆のご禁制。
もう薄くなってしまい読み取るのは難しい感じでしたが
それでも本物に会えた喜びがありました。

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こちらは摺袈裟。
逸話ですが曽我物語の曽我の十郎の墓が暴れて収まらない時
この袈裟を掛けたら静まったとか(成仏できた?)
それ以来 この袈裟を求めて多くの人が修善寺を訪れるようになり
書いていては間に合わず摺って大量生産をしようと発案されたとか。
そんな貴重な摺袈裟を早雲は修善寺から持ち出し(理由は分らず)
生まれ故郷のこの寺に納めたそうです。
もっと小さい物と思っていましたが
けっこう大きいのでビックリしました。
因みに箱は江戸時代に作られたそうです。

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擦るとこんな風。

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そしてこんな感じで持ち歩いたとか。

この摺袈裟についてはまだ続きがあり
持ち出された修善寺側ではこれを取り戻そうと
狐の夫婦を住み込みで送り込んだそうです。
いよいよ誰もが出払う日があり 
二人はチャンスとばかりこれを背負って出る際
山門の辺りに落ち葉が広がり
どうにも気になってつい掃き清めていると
念力が薄れて来たのか箒代わりに使っていた狐の尻尾が丸出しに。
そこへちょ~ど戻って来た寺の者に見つかってしまったそうです。

修善寺から来た狐であることがバレた夫婦ではありましたが
命を助けてくれたらずっとこの寺や民を守ると約束してくれたそうで
その夫婦を祀ったお稲荷さんが寺の上に建っていました。

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早雲の画像。
江戸時代前期(推定)に描かれたそうで
現在残されている早雲の画像のなかで唯一の武将姿の画像だそうです。
(これは本物を写したもの)
レプリカは小田原城にも展示されています。

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本堂裏手にある早雲と父親の盛定のお墓にお参りしました。
左側が早雲のお墓。
墓石は山が崩れて一旦は行方知れずとなったそうですが
掘り起こされてたぶんこれだろうと祀られているそうです。
因みに早雲の墓は箱根湯本の早雲寺にもあります。

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こちらは古澗仁泉のお墓。
合掌。
ついでに裏山にある例の狐のお稲荷さんにもお参りして来ました。

天正18年(1590)小田原合戦において勝利した豊臣秀吉によって
北条氏所縁の物はことごとく壊されてしまいましたが
この法泉寺は山奥だった事が幸いして破壊を免れたそうです。
貴重な物を見せて頂き感激でした。

お名残り惜しいですが法泉寺を後に高越城へ向かいます。
タクシーが見えなくなるまでご夫婦で見送って下さいました。
(頂いたお菓子)
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またまた井原交通さん
私の帰りの電車に合わせ前日予行運転をされたとか。
高越城も自分で登って所要時間を確認したとか。
いや~何て親切なんでしょう。
「私もご一緒しようかと思いましたが 
 ここは思いのままお一人で行かれる方がいいと思いました。
 だから私は下で待っています」と。
泣けてくる~

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中世の山城「高越城」(標高163m)
(1280年蒙古襲来の備えとして築城。
  その後1453年伊勢氏が城主となる)

早雲の生まれた城です。
一人っきりなんで
「やって来ましたぁ~」と大声で言って見ました。
気持ちいい~
思いっきり伸びをして、一から五の郭まで城跡を巡りました。

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(土塁も綺麗)

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(こんなポールの基盤にも三つ鱗の紋ww)

しばし四方の眺めを味わってにわか歴女
中世の領国支配に思いを馳せました。

タクシーに戻って感想を話していると
井原交通さんは
「私は腰に手を当て荒城の月を歌いましたよ」
なるほどね~

これから小田原を語るに一度は見て置きたいと思った早雲の里。
叶った思いを噛みしめ帰りの電車に揺られながら
今夜の宿、姫路へ向かいました。
 

つづく。
(長らく読んで頂きありがとうございました。)





今年のシクラメン

2017.03.04 10:45|生活
試験が終わってから呆けたように過ごしていましたが
外はすっかり春めいて来ましたね。
我が家の20年来のシクラメンも今年は当たり年か
いっぱい咲いてくれました。
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これを買いに行った時は夫も一緒だったので
彼が逝って18年が過ぎたものですから
振り返ると23~4年経つのではないかと思います。

鉢も換えず軒先に放ったらかしなのに
花が少ない時もありながら
毎年毎年咲くのでどこか自分の環境と重ねてしまい
これに限って花言葉を付けるなら
「強さ、逞しさ、健気」と言った感じでしょうか。

凹んだ時には勇気を貰っています。






合格

2017.03.02 10:00|生活
お陰様で合格出来ました。

その後の説明会で人手不足と聞き
これは受かるぞと思っていました(笑)

いろいろ考えましたが
一度は登録して見ることにしました。

一言にガイドと言っても
観光バスのお出迎えや駅からの誘客や
勉強した内容よりも接客中心となって体力勝負のようです。

一年前 怪我をして退職も迫り
どこか遠くへ行ってしまいたい感に包まれていました。
そんな時 別世界の観光ガイド養成講座のチラシが目に入り
申し込んだのが始まりでした。

シニアの観光ガイドなんてマニュアルがあって
その通り覚えればいいんじゃない?と
舐めていた部分がありました。

でも ここにはマニュアルはなし。
基礎知識がしっかりしていれば あとはお客さん次第
時間内なら自由にしゃべって由しという個人プレーだったのです。

でも この基礎知識というのが曲者でした。
どこからどこまでが基礎なのか
この土地の地殻の成り立ちから原始時代、荘園の始まり
源平、鎌倉、戦国、江戸、明治、近代にかけて
次々と専門家がやって来てはそれぞれ深い話をする
それを確かめに現場を歩く
そしてバカみたいな量の宿題が出るという
ストレス満載の日々が待っていたのでした。

どこかへ行ってしまいたい感なんて
迫りくる課題に喘いでいるうち吹っ飛んでいました。

それどころか
秋口から頻繁にガイド実技も加わり
生活のほとんどがこの事で埋まってしまうと
部屋は散らかりロクな料理もせず
集中できない、見るのも嫌となって
「どうでもいい」「もう飽きた」と居直ってさえいました。

でも 終わってみれば達成感いっぱい。
私の頭の中で歴史上の人物が生きて来たような気がします。
思い付きのようにここへ来てしまったけど
これも何かのご縁、やるだけやってみようと思います。

4月からは小田原観光ガイドとして
2ヶ月は見習い期間、早ければ6月から自立できるようです。
近くにお越しの際は是非遊びに来て下さい。
お待ちしております。

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(馬出門から臨む小田原城天守)






終わりましたぁ

2017.02.23 18:05|生活
ようやく試験が終わりました。(合格発表は3月1日)
精神的に長かったです。

最後のガイド資格認定試験
筆記は答え合わせをすると何とか9割近くは出来たようです。
実技は3役を含めた試験官の方々を一時間ほど案内しました。
結果はどちらでも
よくぞ最後まで・・そんな思いです。

たかがボランティア擬きの講習なのに(薄給は出るも)
こんなに勉強するなんて・・(私なりのこんなですが)

途中 入院したり能力差に愕然としたりして
もうダメだと思う事もありましたが
自分の勉強する姿勢にどこか新鮮味を感じて
それを楽しいと思う事もあり
何とかゴールすることが出来ました。

このブログでもいろいろと聞いて下さり
本当にありがとうございました。

あとは卒業式と市との懇親会を兼ねた謝恩会を残すのみ。
卒業式では班活動のプレゼンがあります。
P・Pや配布資料の仕上げなどもうひと息。
あんなに辛かったのに解放される寂しさが迫っています。

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(クラスメイトと行ったイチゴ狩りにて)